言われてうれしかったこと。

そういえば以前

「言われて傷ついたこと、悲しかったことは無限に思い出せるけど

 言われて嬉しかったことは思い出せない」

と書いたが、あれは嘘だ。

いくつか思い出せる。


それは中学の修学旅行。

バスの中で旅先名物の天然水が配られた時の事。

無味なはずなのに何とも言えず美味だったことを覚えている。

そこで私は「透き通った味がする」と感想を述べた。

先生は驚愕して

「そんな形容は初めて聞いた、小説家になれるかもね」

と私を褒めた。

些細なことだったが大層うれしかった。

なお私は現在小説ではなくjavaプログラムを書いている。


それは2年前のバイト先。

いつものように私は同僚と客の愚痴をこぼし合っていたが

「本当にあの(常連客の名前)には辟易させられる」

というと、その同僚は

「みゅーさんはホントに語彙が豊かで話してて飽きない」

と私をほめた。

嬉しかったことを覚えている。


今思い出せるのはこれくらいだ。

なんと「さすが理系」と褒められたことは

一度もない(あるいは思い出せない)。


もっと本気を出せば思い出せるかもしれないが

これを書いている最中に

言われて悲しかったことや

自分が言って人を傷つけてしまったことが

10個以上思い浮かんだので

やはり私は根っからの後ろ向きらしい。


思い出せる最古の「言われてうれしかったこと」は

その中学の修学旅行の件で

思い出せる最古の「人を傷つけてしまった言葉」は

なんと小学1年生のものである。

思い出せる最古の「言われて傷ついた言葉」は

4歳で投げられたものなのだから笑わせる。


相手はとっくに忘れているに違いない。

お金について。

このご時世、「お金がすべて」といっても過言ではない。

この世界で起こるほとんどの問題はお金で解決することができる。

事故を起こしてしまっても、罪を犯してしまっても

重大なものでなければお金を積めば示談にすることができる。


人は皆、お金を得るために東奔西走する毎日を送っている。

会社では毎日みなが互いにマウンティングして

年収一千万の人間が年収数百万の人間を見下している。



が、しかし書きたいことはそんなことではなく。

最近思ったのは

「楽な仕事ってなにひとつないなあ」ってこと。


例を挙げるなら医者。

学生時代には常にトップクラスの成績を保ち、

受験戦争を必死で戦い、医学部に進学し

大学に6年間通って遊ぶことのできない毎日を過ごし

やっと医者になっても今度は働きっぱなしの毎日。

自分が体調を崩したって予約満載の病院は休むことを許してはくれない。

ワークライフバランスも何もあったものではない。

そんな過去と毎日の代償が、皆がうらやむあの年収なのだろう。


要するに、「どこまで投資するか」だ。

社会に出て老いるまでの間、自分はどれほど裕福に暮らしたいだろうか。

それを考慮して収入と時間をコントロールしなければならない。

「簡素な生活でいいから楽をしたい」というなら

年収200万でも事足りる。一生アルバイトでも良いだろう。

「せめて車とマイホームはほしい」というなら

それ相応に努力して出世する必要がある。

「金ぴかの豪邸で毎日遊んで暮らしたい」なら

スコップでも持って中東へ穴を掘りに行くことをオススメする。


冗談はさておいて、「満足できる収入」というのは人によって違う。

「収入が多いこと」が必ずしも幸せに直結しているわけではない。

「時は金なり」だが、金で時間を買うことはできない。

一度金に換えた「若い時間」は二度と戻らない。


あなたは「お金」と「時間」をどう、割り振る?